作品媒体の話頭の中にあったぼやぼや話同じキャラクターでも、漫画やアニメや小説やゲームや朗読や舞台や映画やドラマCDやライブやソシャゲなど、媒体が違えば表現の仕方も変わるなあって思ってる。続きを読むやりたいことの違いとか、尺の違いとか見てる人の環境の違いとか。でもって、表現方法が違う中でも同じそのキャラクターらしさをどこで感じるか(感じさせるか)っていうのも大事だなって。感じるポイントは人それぞれで、またそれが"解釈"になっていくんだろうなって思うんだけど。---例えばソーシャルゲームDREAM!ingには牛若湊くんっていうキャラクターがいるんですけど、ふわふわ~と柔らかい声でゆっくりと喋る子なんですね。テキストで言うとひらがな多め。小学生で習う漢字以外はひらがなで喋る。でも舞台では声色は柔らかいままでも、ゲームに比べたら喋るスピードは相当速いです。演じている人の違いというより、やっぱり舞台の"尺"に合ったスピードではないといけなくって。あとリアルタイムで役者同士のやりとりがあるし、観客もその場で見ている中でどこまでゆっくりスピードに耐えられるかというのもあり。湊の話し方がたとえ「このスピードでなければならない」と言われても、キャラクターを知らない人も見に来ているし、元のスピードで2時間も話を展開するのは難しいと私は思いました。何が言いたいかというと、この「話のスピードの違い」に気付いたのって相当後だったんですよ。そういえば喋るスピードが全然違う…って後から気付いて。それくらい、スピードが違っても演じる人が違っても舞台を観ていて「牛若湊」を私は感じたんですって言う話。キャラクターらしさ、作品らしさを守る、リスペクトを持って、というのは至極当たり前として、それでもその媒体ならではの制限とか、逆に言えばここでしか表現できない良さがあると思ってます。だからあまりにも全てを並べて考えるのではなく、それぞれの良さを良い具合に比較しながらピックアップして触れていきたいなって思うんですよね。たくさんの展開がある作品なら尚更。原作が好きなら尚更。合わなきゃ触れなきゃいいだけだし…---なんでこんなことを思ったかというと、発端はどこからともなく流れてきたコヨイがWITHを抜けた話のポストなんだけどアニメと舞台で抜けた理由が違うんだけど、私は「そんなもんじゃね」って思ったんだよね(舞台はダイジェストしか見てないです)アサヒくんがその場で紙芝居で説明するのと、回想を使って説明するのとではやり方が違うし、アニメで突然コヨイの過去に尺使って事細かに説明し始めたらびっくりすると思う。舞台はコヨイとダクメアに因縁があるからだと思うし、何よりWITHがメインだったからだと思うし。いずれにしても、コヨイがWITHを抜けるきっかけになったくらいの大きな出来事であるには変わりないと思うんですよね。(アサヒくんから見たら)コヨイにとっては味噌汁のぬるさは一大事なんでしょうきっと。アイドルランドしか見ていないにわかよりまあ全部、細かいことは知らないですけど、媒体によっての違いを自分なりに楽しめばいいんじゃないって思ったし、その違いを自分なりに料理して楽しめばいいんじゃないって思ってます。私はそうしてる。何を「正しい」と思うかは人それぞれな気がしている。ところで最近たまにあるけど、舞台と声のマイク前での演技って発声が違いそうで難しいだろうなと思うし、声優って自分の身体や顔を見せなくていいからやれる演技もありそうじゃん。だからそれこそ頭からつま先まで全部見られる状態で演じなきゃいけないのすごいなって。アニメのような動きと音声はあるけど文字がない媒体と、漫画や立ち絵がうごうごする系のソシャゲのような文字はあるけどモーションがない媒体の二次創作の仕方の難しさの話もしたかったけど長くなりそうだからやめた。そこに書き手の個性が出ると言えばそうだし、同じものを思い浮かべるとしたら何故なんだろうって興味深いですね。何でもかんでも大体は楽しいし面白いよ。畳む#雑記 2025.7.22(Tue) 22:12:35 長文
頭の中にあったぼやぼや話
同じキャラクターでも、漫画やアニメや小説やゲームや朗読や舞台や映画やドラマCDやライブやソシャゲなど、媒体が違えば表現の仕方も変わるなあって思ってる。
やりたいことの違いとか、尺の違いとか見てる人の環境の違いとか。
でもって、表現方法が違う中でも同じそのキャラクターらしさをどこで感じるか(感じさせるか)っていうのも大事だなって。感じるポイントは人それぞれで、またそれが"解釈"になっていくんだろうなって思うんだけど。
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例えばソーシャルゲームDREAM!ingには牛若湊くんっていうキャラクターがいるんですけど、ふわふわ~と柔らかい声でゆっくりと喋る子なんですね。テキストで言うとひらがな多め。小学生で習う漢字以外はひらがなで喋る。
でも舞台では声色は柔らかいままでも、ゲームに比べたら喋るスピードは相当速いです。
演じている人の違いというより、やっぱり舞台の"尺"に合ったスピードではないといけなくって。あとリアルタイムで役者同士のやりとりがあるし、観客もその場で見ている中でどこまでゆっくりスピードに耐えられるかというのもあり。
湊の話し方がたとえ「このスピードでなければならない」と言われても、キャラクターを知らない人も見に来ているし、元のスピードで2時間も話を展開するのは難しいと私は思いました。
何が言いたいかというと、この「話のスピードの違い」に気付いたのって相当後だったんですよ。
そういえば喋るスピードが全然違う…って後から気付いて。それくらい、スピードが違っても演じる人が違っても舞台を観ていて「牛若湊」を私は感じたんですって言う話。
キャラクターらしさ、作品らしさを守る、リスペクトを持って、というのは至極当たり前として、それでもその媒体ならではの制限とか、逆に言えばここでしか表現できない良さがあると思ってます。
だからあまりにも全てを並べて考えるのではなく、それぞれの良さを良い具合に比較しながらピックアップして触れていきたいなって思うんですよね。たくさんの展開がある作品なら尚更。原作が好きなら尚更。合わなきゃ触れなきゃいいだけだし…
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なんでこんなことを思ったかというと、発端はどこからともなく流れてきたコヨイがWITHを抜けた話のポストなんだけど
アニメと舞台で抜けた理由が違うんだけど、私は「そんなもんじゃね」って思ったんだよね(舞台はダイジェストしか見てないです)
アサヒくんがその場で紙芝居で説明するのと、回想を使って説明するのとではやり方が違うし、アニメで突然コヨイの過去に尺使って事細かに説明し始めたらびっくりすると思う。舞台はコヨイとダクメアに因縁があるからだと思うし、何よりWITHがメインだったからだと思うし。
いずれにしても、コヨイがWITHを抜けるきっかけになったくらいの大きな出来事であるには変わりないと思うんですよね。
(アサヒくんから見たら)コヨイにとっては味噌汁のぬるさは一大事なんでしょうきっと。
アイドルランドしか見ていないにわかより
まあ全部、細かいことは知らないですけど、媒体によっての違いを自分なりに楽しめばいいんじゃないって思ったし、その違いを自分なりに料理して楽しめばいいんじゃないって思ってます。私はそうしてる。何を「正しい」と思うかは人それぞれな気がしている。
ところで最近たまにあるけど、舞台と声のマイク前での演技って発声が違いそうで難しいだろうなと思うし、声優って自分の身体や顔を見せなくていいからやれる演技もありそうじゃん。だからそれこそ頭からつま先まで全部見られる状態で演じなきゃいけないのすごいなって。
アニメのような動きと音声はあるけど文字がない媒体と、
漫画や立ち絵がうごうごする系のソシャゲのような文字はあるけどモーションがない媒体の二次創作の仕方の難しさの話もしたかったけど長くなりそうだからやめた。そこに書き手の個性が出ると言えばそうだし、同じものを思い浮かべるとしたら何故なんだろうって興味深いですね。
何でもかんでも大体は楽しいし面白いよ。畳む
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